鰻とうな重

季節の味

🐟 鰻をさばくということ──香ばしさの奥にある、命と向き合う時間

夏の盛り、土用の丑の日が近づくと、どこからともなく漂ってくる甘辛いタレの香り。ふっくらと焼き上がった鰻の蒲焼は、まさに日本の夏のごちそうです。けれど、私にとって鰻は、ただの「美味しいもの」ではありません。ある年、鰻を自分の手で調理するという体験を通して、その奥にある命の重みと、食文化の深さに触れることになったのです。

📜 鰻の歴史と文化

鰻は古くから日本人に親しまれてきた魚で、『万葉集』にもその名が登場します。江戸時代には蒲焼の技術が発展し、庶民の味として定着しました。特に「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣は、平賀源内の発案によるものとされ、今もなお続く夏の風物詩です。

地域によって調理法も異なり、関東では一度蒸してから焼く「蒸し焼き」、関西では蒸さずに直火で焼く「地焼き」が主流。蒸し焼きはふっくらと、地焼きは香ばしく仕上がるのが特徴です。

🔪 鰻を調理するという体験

ある夏、京都・宇治の「うなぎのしお冨」さんで、鰻の調理体験に参加しました。最初に目の前に現れたのは、生きた鰻。桶の中でくねくねと動くその姿に、正直、少しひるみました。けれど、店主の「命をいただくということを、ちゃんと見てほしい」という言葉に背中を押され、私は鰻を手に取りました。

鰻をさばくのは、想像以上に難しく、そして神聖な作業でした。目打ちで固定し、背開きにして内臓を取り除く。包丁の角度、力の入れ方、皮を傷つけないようにする繊細さ──すべてが職人の技でした。私は見学だけでしたが、目の前で命が「食材」へと変わっていく過程に、言葉を失いました。

🔥 串打ちと炭火焼きの奥深さ

さばいた鰻に串を打ち、備長炭の火でじっくりと焼いていきます。まずは「白焼き」。皮目から焼き、返して身側を焼く。団扇であおぎながら、何度も返す「万遍返し」は、まるで舞のような所作でした。

焼き上がった白焼きに、秘伝のタレを塗って「本焼き」へ。タレの香ばしさが立ち上り、鰻の脂がじゅわっと音を立てるたびに、食欲が刺激されます。焼き加減を見極めるのは難しく、私は何度も店主に助けられながら、ようやく一尾を焼き上げました。

🍽 自分で焼いた鰻の味

完成したうな重を前に、私はしばらく箸をつけられませんでした。自分の手で関わった鰻──その命の重みと、香ばしい香りが胸に迫ってきたのです。

ひと口食べると、ふわっとした身と、炭火の香り、甘辛いタレが絶妙に絡み合い、思わず目を閉じました。美味しい、という言葉では足りない。そこには、手間と時間、そして命への感謝が詰まっていました。

✍️ 食文化を伝えるということ

この体験を通して、私は「食べる」という行為の奥にあるものを、少しだけ理解できた気がします。鰻は高級食材であり、資源としても貴重な存在です。だからこそ、ただ「美味しい」だけでなく、その背景にある文化や技術、命の循環を伝えていきたいと思いました。

いでたかゆきさんのブログでは、こうした体験を通じて「食と向き合う静かな時間」を読者に届けることができるはずです。鰻という一尾の魚が、どれほど多くの人の手と想いに支えられているか──それを伝える記事は、きっと心に残るものになるでしょう。

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